日本の迷路園

江戸時代に、八幡の藪知らずの森を真似て、囲いで覆った土地に迷宮式の藪を作り、入場料を取って中に入らせ、無事に出て来られた者に賞品を出すという興行場が現れ、明治10年頃にもこれが復活して、八幡不知(やわたしらず)、八陣、かくれ杉などの名前で大流行した。

1876年、植木屋の川本友吉によって神奈川県横浜市老松町の花屋敷(遊園地)に作られたものが日本で最初の迷路園である[2]。これをきっかけに、日本各地に迷路園が造られた。成島柳北の記述から、当時、東京の向島ではマツを利用して、京都や大阪では竹林を利用して立体迷路を作り、客を遊ばせていたことが知られている。

1980年代ころには巨大迷路ブームが起こり、各地の娯楽施設に迷路が作られた。これらの多くはスチュワート・ランズボローが手がけたことから由来する「ランズボロー迷路」と呼ばれるもので、可動式の板塀を利用しており、そのため定期的に設計を変えて違うパターンの迷路を提供することが出来た。立体交差やチェックポイント、緊急避難用のゲートなどを設け、幅広い年齢が楽しめる手軽な娯楽として成立した。興業者側の利点として設置費用や撤去費用の安さ、維持管理の容易さなどが挙げられる。最盛期には、日本各地に100個以上の巨大迷路が存在したものの、結果として一過性のブームに終わり、現在では20箇所程度にまで激減した。しかしながらわずかに残っている施設は適宜改修やリニューアルが行われ根強い人気を誇っている。近年は迷路とアスレチックが組み合わされたアスレチック迷路や、複層型立体迷路と呼ばれる、複数階建ての建物の内部が迷路になっており、階を上がったり下りたりしながら攻略を目指す迷路施設などのアレンジ巨大迷路も作られている。


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